医師15年目の選択
シンガポール大学 大里元美研究室 ゲスト研究員
(前職:東京大学医学部附属病院 輸血部 助教)
大河内直子
私は1999年に信州大学医学部を卒業し、今年で医師15年目になります。神戸中央市民病院で5年間の臨床研修(血液内科専攻)を修了したのち、東京大学大学院へ進学しました。4年間、血液腫瘍関連の基礎研究に没頭し、学位取得後(結婚6年目)に第1子を出産しました。学術振興会特別研究員として10か月の産休・育休を得たのち、2009年7月に東大病院輸血部の助教として採用されました。
輸血部助教の仕事は血液内科助教に比べるとかなり負担が少なく、日中に研究する時間を確保でき、当直もなく、育児中の私にとっては大変ありがたい勤務体制でした。そして東大病院のいちょう保育園は、先生方がとても温かい雰囲気で早朝から夜遅くまで子供たちを受け入れてくださり、とても心強い存在でした。年間行事の様々な場面で他の父兄の方との交流の場も設けてくださるため、お互いの存在を認識し、あわただしい送り迎えの瞬間のほんの短い会話の中で互いに励まし合う雰囲気がありました。発熱で休む必要があるときは夫と私が交互に休暇(半日あるいは一日)を取り、水疱瘡や麻疹など長期休まざるを得ない時には両親が地方から来てくれて長期滞在型で看病してくれました。学会出張時には実家にしばらく預かってもらうこともありました。週1回の家事代行サービスも利用しました。いろんな方の支えのおかげで2013年1月にはBlood誌に黒川研での研究成果を報告することができました。
2013年9月に夫の海外赴任が決まり、シンガポールへ異動することになりました。私は常勤職を辞めて夫についていくという選択をしました。自分のキャリアは「家族とともに暮らす」ことを優先した上で模索しよう、と考えました。2013年12月いっぱいで輸血部助教の職を辞し、2014年1月にシンガポールへ引っ越しました。現在、シンガポール大学のラボで研究を続けています。現在のラボとのご縁があったのも、ずっと興味を持ち続けてきた血液腫瘍関連の研究のおかげです。
医学分野における男女共同参画については賛否両論あるようですが、個人的な希望としては、子育て中でも働きたいです。できない理由をあげるよりできる方法を模索して、これからもやっていきたいと思います。ただ今回は海外駐在員の扶養家族としての渡航であり、初めての異国暮らしで息子も言葉の壁がある中で、日本と同じようにフルタイムで働くという選択はベストではないと判断しました。日本語対応可能な幼稚園が15時で終了するためラボでの滞在時間はかなり短いです。息子が慣れてきたら、もう少し自分の研究時間を増やしていきたいと思っています。
第2回医学系キャリア支援のための交流会で講演された吉川雅英先生のお話は大変悲しく涙があふれましたが、その悲しみを乗り越えていく強さに心を動かされました。奥様のキャリアも考えながら、家族としてのトータルでのベストを目指すというお話でした。社会的地位には関係なく、生きているといろんな問題にぶつかり、それらに正面から向き合う強さが求められます。たぶん、子供がいてもいなくても、男でも女でも、若くても年寄りでも、人それぞれにいつも何かしら課題を抱えているものであり、その時その時のベストを選んで進んでいくしかないのだろうと思います。今回、私は夫の異動についていくという選択をしましたが、型にはまらないスタイルであってもよき出会いにめぐまれて医師としてあるいは研究者として家族とともに幸せに暮らしていく道があるものだなと実感しています。おそらく、自分が進みたいと感じる道が自分にとってのベストです。異国での暮らしを楽しみながら一つ一つ成果を出していくことが、また次の良き出会い(キャリア?)につながるような気がしています。
(2014年3月 シンガポールにて)